About

Stefan Balanescu

- Artist

■ 経歴:

  • 1993年 イギリス・ロンドン生まれ
  • 2015年 イギリス国立 シェフィールド大学日本学科卒業 (中央大学にて1年間の交換留学含む)
  • 2017年 日系企業への入社、来日。
  • メーカーの海外営業として勤務。
  • 2020年 美学校 超・日本画ゼミを終了
  • 2023年 武蔵野美術大学通信教育課程 油絵学科 在籍
  • 2023年 武蔵野美術大学通信教育課程 第一種奨励生 として選抜される

■ グループ・エキシビション:

サラリーマンで画家をするに当たって:

日本に初めて来た頃から、「この国は快適だな」という思いがあった。

むしろ、日本に来る前までは快適な暮らしを知っていたのだろうか。

日本では携帯を開いた手に持ったまま電車で寝ても盗まれないし、降りた時に落としても、(下手すると着払いで)手元に戻って来る。
一人で夜道を歩いていても身の危険を感じない。
病気をしてもすぐに診てもらえる。
お店に行こうと思えば開いている。
外で美味しくない物を口にすることの方が珍しく、トイレは殆どどこにいても綺麗で温かい便座が待っている。同じ先進国の母国イギリスと比べてもとんだ違いだ。

と、この国に住みたいという思いも私にとって当前だった。

あくまで私自身の経験に過ぎないが、日系企業に入るとなると(ある程度古い会社なら尚更)、色々あるけども、一言で均して表すなら、「安泰」だ。サラリーマンの日常は、幼少の頃に見た黒澤明監督の映画「生きる」 ((C)1952 TOHO CO., LTD. ALL RIGHTS RESERVED.) を思い出させる。
年功序列がなお21世紀になっても不動、何をしているのかがわからない人達でも中々クビにされることがなく、そしてとにかく忙しくしていると、知らない内に1日や1年、数年が過ぎて行く。組織、家計ばかりが健全で、仕事そのものは中々に業務的に感じる。

尚、私は日本のオフィスでしか働いたことがないので、これは日系企業に限った話ではないのかもしれない。

「安泰」、サラリーマン特有の形態にしても、それは理想的なのかもしれない。

日本のオフィスワーカーに成ることができさえすれば、海外では普通の人に普通に起こりうる外要因による脱出不能な貧困、暴力や盗難の被害にも滅多に遭わないのではないか。
ただ、ここまで日本のサラリーマン生活が比較的快適で安泰に思えても、果たして今、目の前にし、生きているその生活が良いかというと、そこまで単色短絡なことではない。

やっぱり、今の生活が良い、それとも返って、私達はこれで良いのかと考えてみて、変えてみて、幸せになろうじゃないか。

働く人口の半数以上はオフィスワーカーなわけだが、主流のメディアにおいて上記のような会話があっても、絵画の世界になると、宇宙・情緒や、生死や動物やお花やヌード、肖像画、山の風景などを表すもの(どれも立派とはいえ)が多く、普通の人の生活や、その生活習慣に焦点を当てる絵画の割合が圧倒的に少なく感じる。

絵画は強い物質性やストーリー性、視野いっぱいを満たす面を持ち合わせることにより視覚を乗っ取ることができ、また、不確か性が豊かなためか様々な疑問や観点を生み出す力があると同時に、作家や他人との強い共感を起こす力もある。
絵画の分野でこそ、大多数のオフィスワーカー(わたし自身でもある)の生き様を直に映し出し、
「あ、この絵の中にいる人の気持ちはよくわかる、私もそうなんだよ」や、「私もこういう時が好き」、「それがダメなんだよな」、「あ、日本の場合はそうなのか」などと、少しでも我々が自身の生活に対して気づきを与え、自己の幸せが何なのか、どうすれば一番幸せなのかと考えさせる絵がもっと多くても良いと思う。

私の絵がそのような絵になられれば、なんてことを考えている。

私自身はイギリスから日本のオフィスワーカーになった一人の観点だ。
「お前、英語喋れたっけ?」、や、「その考えは日本人すぎるよ」と言われるようになり、それは日本に在住する外国人の中で珍しいことではないが、それ程日本に慣れていても、やはりちょっとした違和や新鮮さを感じる習慣や空間、自国の文化と違うからこそ愛しさや居心地の良さを感じることがある。
逆に日本人であれば、それらの場面を特別に目に留めないかもしれないからこそ、国内外問わず、それらの場面が新たな気づきを潜めているかもしれないと思い、描き続けている。

快適や安泰なオフィスワーカーの人生といっても、人間臭く、絵になりそうな場面ばかりだ。

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